千早城

  • 大阪府千早赤阪村
  • 歴史・文化 | 城郭 | 100名城
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千早城は、鎌倉時代末期の元弘3年(1333年)に、後醍醐天皇に呼応した稀代の知将・楠木正成が、鎌倉幕府の大軍を迎え撃つために設けた、難攻不落を誇る中世の山城です。わら人形を用いた奇策や火計といった正成の変幻自在な防衛戦により、わずか数千の兵で10万とも言われる幕府軍の猛攻を数ヶ月にわたって足止めし…

千早城は、鎌倉時代末期の元弘3年(1333年)に、後醍醐天皇に呼応した稀代の知将・楠木正成が、鎌倉幕府の大軍を迎え撃つために設けた、難攻不落を誇る中世の山城です。わら人形を用いた奇策や火計といった正成の変幻自在な防衛戦により、わずか数千の兵で10万とも言われる幕府軍の猛攻を数ヶ月にわたって足止めし、幕府滅亡への決定機を作った歴史的合戦の舞台として知られています。

特徴は、近世のような天守閣や総石垣を持たず、山そのものの険しい地形を徹底的に利用した実戦本位の「要害」である点です。周囲は深い谷に囲まれており、尾根を断ち切って敵の侵入を阻む「堀切」や、山の斜面を階段状に削って平地を作った「曲輪」が連続して配置されています。限られた軍勢で大軍の侵攻ルートを制限し、上から岩や丸太、さらには熱湯を投げ落として敵を撃退した、楠木流軍学の合理的な防衛機構を今も地形から読み取ることができます。

現在、城跡へは山麓から約500段の急な階段を登ってアクセスでき、本丸跡には楠木正成を祀る千早神社が静かに佇んでいます。

基本情報

種別 山城
起源・創始 元弘2年(正慶元、1332)
開催時間 24時間
開催日 なし
住所 〒585-0051大阪府南河内郡千早赤阪村千早
アクセス ・南海電鉄河内長野駅 ⇒ 南海バス日東町経由河内長野駅行(約28分) ⇒ 金剛登山口下車 ⇒ 徒歩(約20分)